コトタマ学でいうウ次元とは、基本的に「欲求」であり、「競争原理」であり、「経済活動」もウ次元に含まれる。なぜなら、「経済活動」は「売る」「得(ウ)る」、つまり、「ウがする」動きだからである。
日本の法律には、一応、名目上は、独占禁止法があり、各業界でライバル会社が争っている(ことになっている)。自動車業界ならトヨタ、日産、マツダ、等々。電気業界なら東芝、日立、松下、シャープ、等々。ビール業界なら、キリン、アサヒ、サッポロ、サントリー、等々。テレビ業界なら、日本テレビ、TBS、フジ、テレビ朝日、等々。
テレビ業界でいう電通のような双頭の鷲的な立場に居れば、すべてを牛耳っている立場で物事を見ているだろう。しかし、おそらく各々の会社の内部にいる従業員にとっては、ライバル感を煽られながら、仕事をしていることだろう。あちらのメーカーはこんなのを作った、あちらのメーカーに先に特許を取られた、というように。そこには、まさしく「競争原理」が働いている。
「経済活動」における「競争原理」は、大企業に限った事ではない。個人商売であっても、価格と品質という両面で、競争を強いられている。消費者は、同じ品質ならより価格が低い商品を買うし、価格が同じなら品質の良い商品を選ぶ、のは当然の選択だ。立地条件や、品数の多さも、店としての品質のうちだろう。
そうやって、日本では、大型スーパー、100円ショップ、ユニクロ、の登場により、市場や、商店街は消えかかっている。個人商売で、大企業に互角な勝負を挑んでも、勝てるわけはないのだ。「競争原理」なので、どうしても勝ち負けなのだ。その結果、競争原理に支配された経済活動は、どうしても大企業に負け、吸収されていく。商店街の一人の店主が、大巨人アンドレに勝てるわけがないのだ。
では、経済活動における競争原理のメリット、とは何か? 日本の自動車業界、電気業界等は、間違いなく便利な商品をつくり、私たちの生活に欠かせない物をつくりだしている。車は便利な道具だ。パソコンも便利な道具だ。冷蔵庫・洗濯機はなくてはならない物となった。それが、コトタマ学でいう科学物質文明の発達で、第二文明を謳歌している最中と言える。
コトタマ学では、ウ次元の競争原理がなければ、個人のみの幸せ(縄文時代のような科学物質文明のない幸せ)で満足してしまって、化学物質文明をつくることができない。だから、「競争原理による天下統一」という方便をつかって、その役目をユダヤにさせた、と言われている。でも、まだ物質科学文明も完成せず、人類の幸せからも離れてしまったまま、第三文明には至っていない・・・、とそう解釈している。では、スメラミコトは、この先、どうオチをつけるつもりだったんでしょうね・・・。
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