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2011年1月20日木曜日

「自分教」だけでは片手落ち

世界的に見ると、日本以外の国には、「宗教」があり、それが「よりどころ」となっているようにみえる。しかし、日本には宗教はない。一応、葬式の時だけ仏教徒になり、結婚式の時だけ神式やキリスト教徒になるが、普段の生活で宗教を意識することはない。世界にも珍しい無宗教の国だ。

それで、宗教というものの存在がよく分からなかったので、当時、いろいろと調べてみた。その頃、音楽好きの影響でゴスペルに関わった関係もあり、バプティスト派のキリスト教に潜入したことがある。でも、彼ら黒人にとってゴスペルという音楽は礼拝であって、どうやら神、ジーザスを本気で信じているみたいなのだ。そう、彼らにとっては、ジーザスが「よりどころ」なのだ。冗談じゃなくて、ほんとに本気なのだ。ほんとに信じられないくらい、本気なのだ。

私のような日本人にとっては、ジーザスは「よりどころ」にならない。それで、新しい「よりどころ」を探し始めた。最近、流行っているスピリチュアル・ブームの前の時代、本屋には「精神世界」というコーナーがあって、そのジャンルの本をよく読んだ。そのメインテーマは、自分を「よりどころ」とする「自分教」だ。自分自身が感じたことが「よりどころ」であり、自分が信じることが「よりどころ」であり、自分が「したいことをする」のが「自分教」だ。なるほど、と思った。

その「自分教」だけでも、自分だけの生活くらいだったら、かなり上手くいく。個人的には満足できる人生になる。だが21世紀に入り、ほんと9.11の瞬間に、世界が変わった。それまでの「自分教」だけでは、世の中で起きている出来事を説明しきれないのだ。その時初めて、私の目の前に「陰謀教」が見えてきた。

そして同時に、「精神世界」や「スピリチュアル」の「物差し」である「自分教」だけでは、片手落ちであることが分かった。コトタマ学でいうと、「ア」側しかなくて、「ワ」側がないのだ。「ア次元」だけで「エ次元」に至っていないのだ。対象物を測る「物差し」、状況を解釈する「よりどころ」が不充分だから、世界で現実に起きていることを正確に解釈できない。「自分教」だけでなく、「陰謀教」という対象を理解するための「物差し」が必要だったのだ。 --> 続く

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