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2011年1月20日木曜日

「欧米か!」から日本語「コトタマ」へ

その後に流行ったスピリチュアルは、チャネリングに代表される「他力本願教」になって全然違う方向に流れたけど、「自分教」スピリチュアルの問題点は、対象に対する認識が甘いところにある。柵に囲まれた羊に、柵を見せないで「あんたたち、幸せでしょ」と言わせているようなイメージだ。だから片手落ち、なのだ。

では、なぜ片手落ちなのか? その原因は、相手に見えるものは自分にもある、という「投影」の解釈が邪魔をしている。「自分教」スピリチュアルでいう「投影」とは、相手に見える問題点は、自分のフィルターに問題がある、つまり自分に問題があるからであって、自分のフィルターを修正して、それで終わりなのだ。だから、もし自分が本当に正直者で、相手が嘘つきだったら、相手の嘘を見破れない仕組みになっている。

ユタはゴイに平気で嘘をつく。日本人はお人好しだから、相手が平気で嘘をつくとか、人類という言葉の範囲が極端に狭い、という相手の概念が理解できない。相手は人間と思っていないから、動物と同じだから、肉食で屠殺するのと同じように、平気で人間を殺せるのです。人間と思っていないから、動物を家畜にするのと同じように、人間も柵に入れて奴隷にできるのです。だから、故太田龍氏は、家畜全廃論に繋げたのです。

私はその後、「陰謀教」となって、いろいろな本を読んだ。それまで信じていた対象に関する情報を、もう一度疑ってみるのが「陰謀教」だ。その途中で、すべて欧米のものを追い掛けていることにも気が付いた。これは、マスコミに徹底的に鍛え上げられた「欧米教」の影響であるが、多くの日本人が最先端はすべて「欧米」にある、と洗脳されつくされている。

見事に現代日本人の本質を突いていた。だから笑いが取れた。

そして、日本にもともとあった知恵、「コトタマ」に行き着く。「五十音図」に行き着く。私が幼稚園生の頃、お気に入りの下敷きは、五十音図の下敷きだった。平仮名を覚えるための、あいうえおの下敷きだった。すっごい遠回りしたけど、もともと「よりどころ」は一番近くにあったのだ。「灯台下暗し」というヤツだ。 --> 続く

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