そう、一生、「疑問」に思わなければ、それはそれで幸せな人生かもしれない。だから、逆を言えば、鍵は「疑問」だ。「疑問」を感じたら、その「疑問」をとことん追い詰めることだ。
まず「疑問」を感じたら、「知識」「理屈」「常識」「周囲の評価」(オ次元)をとりあえず静かにさせて、「疑問」を感じた対象に注意の焦点(フォーカス)を伸ばし、じっくりと吟味して、いろいろと調べてみることだ。その行動は、エ次元の動きだ。
問題は、対象の「疑問」解きの興味エネルギー(エ次元)が、「知識」「理屈」「常識」「周囲の評価」(オ次元)の拘束エネルギーを上回る事だ。オ次元の拘束エネルギーが上回ると、元の状態に戻ってしまう。
一般的に、「知識」「理屈」「常識」「時間」(オ次元)で、知覚(エ次元)を否定する。これが、大多数の日本人の意識構造だろう。これが逆転して、エ次元の「疑問」の謎解きエネルギーが、オ次元の拘束エネルギーを上回ると、対象に対する新しい理解が得られるだろう。
その時得られた「対象の理解」は、オ次元で持っていた「知識」ではない。オ次元の「知識」は、対象にまで注意が行き届いていない「間違った理解」だ。思い込みだ。対象にまで注意が行き届いた上での「対象の理解」は、「正しい理解」(エ次元)だ。コトタマでは、「実相」は万人にとって、一つ、だ。それはエ次元の意識になって、初めて共有できる。
「対象」を知れば、自ずと行動は変わる。私は、ある食品の原材料を知った途端、ずっと止められなかった甘いお菓子もすぐに止められた。「対象」を知れば、食べる気にはならなかった、ので、まったく無理はなかった。
その前段階として、まず、「疑問」を感じなければ、可能性がない。だから、抱いた「疑問」を「理屈」で封じ込めたりせず、とことん対象を調べてみると良い。それしか、解決策はないだろう。
反対に、「疑問」を持っていない人に、無理に話をしても、話が通じない。興味、関心事、注意の焦点(フォーカス)が当たっている物事が違うのだ。相手は、エ次元以外のオ次元、ア次元、または「欲求」「競争原理」優先のウ次元を優先して生きている。それを理解して接すれば、何も問題ない。
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