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2011年6月2日木曜日

大衆が求める政治家はエ次元、現実の政治家はウ次元

前回記事でのドイツの原子力関係者も、日本の政治家や東電もそうですが、組織のお偉い人間はピラミッド型の三角形に支配されているので、相手(大衆)を見るわけではなく、ピラミッドの上からの意向を、さも自分の意見のように自信満々に言います。コトタマでいうと「ウ」次元の動きです。欲、金(経済)、競争原理、生存競争、を動機とした動きをします。

そもそも競争原理ですから、相手を助けるようなことはせず、組織のトップの意向に沿うロボットです。そういった血も通わない支配されたロボットだけが、昇進し、組織のトップになっていきます。残念ながら、東京大学も、東京電力も、医者も、一流と思われていた組織は、みんなその程度だということを露呈してしまいました。でも、それが事実なんです。

私たちは、義務教育で、「民主主義とは国民に主権がある」、「政治家は国民のための政治をしている」と教わります。本当に政治家がこの通りの動きをするなら、コトタマでいう「エ」次元の動きです。思いやりがあり、愛があり、本当に相手のためになることをする、真の政治家です。本来のスメラミコトの役割です。人間性を一番重視した動きです。

でも残念ながら、現在の社会では、人間性に欠けているけど命令に忠実に動ける犬やロボットが、組織のトップ、国のトップに立っているのに、一般大衆は、政治家は自分たち国民のために仕事をするもんだ、と思い込んでいるところに悲劇があると思います。加えて、日本という国も、東電ごとき組織も、自分たちだけでは何も判断出来ない、ピラミッドの中腹(もしかしたら三合目)あたりにいるんです。日本のトップ、組織のトップという事自体が幻想なのです。

最近ツィッターを見ていて思う事は、「○○は××するべき」という発言は、「こうあるべき」と洗脳された概念や理想に近づけるためには、○○は××してくれないと理屈が合わない、と言っているようなものです。例えば、政府は子供たちを避難させるべき、という考えは、政府は子供を守るものだ、と思い込んでいるから出てくる発言でしょう。そうではなくて、政府が20mSvに上げた、という行動、そして福島に悪名高い医者を派遣した行動から見れば、政府が国民のためにある組織か、もっと向こう側にあるピラミッドのためにある組織か、答えは明白な筈です。

2011年1月18日火曜日

競争原理(ウ次元)と経済活動

コトタマ学でいうウ次元とは、基本的に「欲求」であり、「競争原理」であり、「経済活動」もウ次元に含まれる。なぜなら、「経済活動」は「売る」「得(ウ)る」、つまり、「ウがする」動きだからである。

日本の法律には、一応、名目上は、独占禁止法があり、各業界でライバル会社が争っている(ことになっている)。自動車業界ならトヨタ、日産、マツダ、等々。電気業界なら東芝、日立、松下、シャープ、等々。ビール業界なら、キリン、アサヒ、サッポロ、サントリー、等々。テレビ業界なら、日本テレビ、TBS、フジ、テレビ朝日、等々。

テレビ業界でいう電通のような双頭の鷲的な立場に居れば、すべてを牛耳っている立場で物事を見ているだろう。しかし、おそらく各々の会社の内部にいる従業員にとっては、ライバル感を煽られながら、仕事をしていることだろう。あちらのメーカーはこんなのを作った、あちらのメーカーに先に特許を取られた、というように。そこには、まさしく「競争原理」が働いている。

「経済活動」における「競争原理」は、大企業に限った事ではない。個人商売であっても、価格と品質という両面で、競争を強いられている。消費者は、同じ品質ならより価格が低い商品を買うし、価格が同じなら品質の良い商品を選ぶ、のは当然の選択だ。立地条件や、品数の多さも、店としての品質のうちだろう。

そうやって、日本では、大型スーパー、100円ショップ、ユニクロ、の登場により、市場や、商店街は消えかかっている。個人商売で、大企業に互角な勝負を挑んでも、勝てるわけはないのだ。「競争原理」なので、どうしても勝ち負けなのだ。その結果、競争原理に支配された経済活動は、どうしても大企業に負け、吸収されていく。商店街の一人の店主が、大巨人アンドレに勝てるわけがないのだ。


では、経済活動における競争原理のメリット、とは何か? 日本の自動車業界、電気業界等は、間違いなく便利な商品をつくり、私たちの生活に欠かせない物をつくりだしている。車は便利な道具だ。パソコンも便利な道具だ。冷蔵庫・洗濯機はなくてはならない物となった。それが、コトタマ学でいう科学物質文明の発達で、第二文明を謳歌している最中と言える。

コトタマ学では、ウ次元の競争原理がなければ、個人のみの幸せ(縄文時代のような科学物質文明のない幸せ)で満足してしまって、化学物質文明をつくることができない。だから、「競争原理による天下統一」という方便をつかって、その役目をユダヤにさせた、と言われている。でも、まだ物質科学文明も完成せず、人類の幸せからも離れてしまったまま、第三文明には至っていない・・・、とそう解釈している。では、スメラミコトは、この先、どうオチをつけるつもりだったんでしょうね・・・。

2011年1月17日月曜日

競争原理(ウ次元)とスポーツ

コトタマ学でいうウ次元は「欲求」「競争原理」「経済活動」などに代表される。このうち、「競争原理」を理解するするのに一番分かりやすいのは、スポーツだろう。特にトーナメント制に、「競争原理」が見事にあらわれている。

日本人にとって、一番なじみのあるトーナメント制は、夏の甲子園、高校野球だろう。甲子園で開催される高校野球には、毎日新聞主催の春の選抜大会と、朝日新聞主催の夏の選手権大会がある。特に夏の大会は、地方大会から完全なるトーナメント制で、各都道府県の代表を決める。

夏の甲子園が始まる前、8月初め頃の時点では、甲子園出場を果たした各都道府県代表の高校だけが、まだ一度も負けていない。そして、8月第2週頃に、夏の甲子園大会が始まる。そして8月20日頃、優勝校が決まる。その優勝校のみが、県予選から、甲子園の全国大会まで、唯一、一度も負けなかった高校になる。それが、トーナメント制だ。

トーナメント制は、テレビ中継もされ、新聞報道もされ、表にあらわれている「競争原理」だが、おそらくチーム内では、レギュラーを取る、ベンチ入りする、ための凄まじい「競争原理」が働いていることだろう。野球のレギュラーは9人。高校野球の場合、レギュラーが一桁の背番号を付ける。エースは1番、キャッチャーは2番、ファーストは3番、・・・というように、外から見ていてレギューラーと控えの烙印が、背番号にはっきりと押されている。改めて考えてみると、かなり過酷な環境だ。

プロの世界でも、日本のプロ野球は70人しか支配化選手登録ができないので、華やかなドラフト指名選手が入団すれば、陰ではそれと同じ数の選手がクビになっている。マスコミが報道するのは華やかな一面だけなので、ほとんどスポットライトを浴びる事はない。ここに、イス取りゲームならぬ、凄まじい「競争原理」が働いている。

「競争原理」のメリットは、お互いが負けないように競い合うので、技術のレベルが上がる。また、トーナメント制は、一度負けたら終わりというバクチ性が、非常にゲームに緊迫感を与える。特に、ベスト8が出揃った準々決勝以降は、お互いにレベルが拮抗してきて、試合が非常におもしろくなる。サッカーのワールドカップや、チャンピオンズリーグも、同じような仕組みだ。

私は密かに、カバラというのは秘儀でもなんでもなくて、トーナメント形式の「競争原理」を指すのではないか、そして、その象徴がピラミッドではないか、とずっと思っている。ヤツらは、一番秘密にしておきたいことは、一番目立つところに置いておくことが好きだからね。

競争原理(ウ次元)による天下統一と雑草魂

昨日、1月16日のKazumoto Iguchi's blogのついに日本人も立ち上がったか!?:「上杉機関」の健闘を祈る!の記事の中で、次の一文がありました。

「ユダヤの思想には、善と悪をゲームとして再現し、その内部倒立と統率、対立をさせて殺し合わせ、「競争」によって豚人種を管理するという言葉がある。」

ちなみに、そのまた引用元は、ブログ上杉機関 本館というブログです。

故島田正路氏のコトタマ学では、スメラミコト(天皇)は、競争原理(カバラ:ウ次元)によって天下統一を果たすよう、モーゼ(ユダヤ)に通達された。競争原理による天下統一は、精神のみ充足した第一文明から、科学が発達した第二文明を経て、精神・科学両面において充足・発達した第三文明が発足する、ための方便であって、現在は科学文明がまだ完成していない第二文明の過程にある、という解釈をされていました。

スメラミコトのイ次元から見ると、ウ次元だけでの天下統一は無理な事です。それは、図形でいうと、ウ次元は三角形、オ次元は四角形、イ次元は円で表されます。イ次元の円が宇宙のすべてを表すので、ウ次元の三角形は円に内接する三角形、オ次元の四角形は円に内接する四角形になります。

これは具体的にどういうことかというと、例えば作物を畑で育てる、には決まりを作って整然と並べていきます。これがオ次元(四角形)の動きです。でも、雑草は生えてきます。畑の管理者から見ると、これは邪魔で邪魔で仕方ありません。この雑草が、円に内接する四角形の外側の部分で、かつ、円の内側の部分です。これは、「決まり」「規則」(オ次元)の四角形で囲っても、囲いきれない部分(イ次元)が必ずあり、囲いきれない部分から雑草という命(イの地、イの血)が生えてきます。どこからでも、雑草は生えてくるのです。

ユダがゴイの人口削減を企むのは、この雑草を取りたくて仕方ない、そんな動機から生じているように感じています。蚊を殺しても殺しても出てくる、蟻をつぶしてもつぶしても又出てくる、そんな心境だと思います。でも、雑草魂は不滅なのです。抜いても抜いても生えてきます。

ウ次元も同様です。ウ次元の競争原理で、ピラミッド型の組織や、階級の仕組みに人類を組み込もうとしても、はみ出る人間(フリーター)が出てきます。ウ次元の三角形では囲いきれない部分(イ次元)の命(イの地、イの血)が、必ずあるのです。そう、雑草魂は不滅なのですよ。

2011年1月16日日曜日

解決の鍵は「疑問」(エ次元)

そう、一生、「疑問」に思わなければ、それはそれで幸せな人生かもしれない。だから、逆を言えば、鍵は「疑問」だ。「疑問」を感じたら、その「疑問」をとことん追い詰めることだ。

まず「疑問」を感じたら、「知識」「理屈」「常識」「周囲の評価」(オ次元)をとりあえず静かにさせて、「疑問」を感じた対象に注意の焦点(フォーカス)を伸ばし、じっくりと吟味して、いろいろと調べてみることだ。その行動は、エ次元の動きだ。

問題は、対象の「疑問」解きの興味エネルギー(エ次元)が、「知識」「理屈」「常識」「周囲の評価」(オ次元)の拘束エネルギーを上回る事だ。オ次元の拘束エネルギーが上回ると、元の状態に戻ってしまう。

一般的に、「知識」「理屈」「常識」「時間」(オ次元)で、知覚(エ次元)を否定する。これが、大多数の日本人の意識構造だろう。これが逆転して、エ次元の「疑問」の謎解きエネルギーが、オ次元の拘束エネルギーを上回ると、対象に対する新しい理解が得られるだろう。

その時得られた「対象の理解」は、オ次元で持っていた「知識」ではない。オ次元の「知識」は、対象にまで注意が行き届いていない「間違った理解」だ。思い込みだ。対象にまで注意が行き届いた上での「対象の理解」は、「正しい理解」(エ次元)だ。コトタマでは、「実相」は万人にとって、一つ、だ。それはエ次元の意識になって、初めて共有できる。

「対象」を知れば、自ずと行動は変わる。私は、ある食品の原材料を知った途端、ずっと止められなかった甘いお菓子もすぐに止められた。「対象」を知れば、食べる気にはならなかった、ので、まったく無理はなかった。

その前段階として、まず、「疑問」を感じなければ、可能性がない。だから、抱いた「疑問」を「理屈」で封じ込めたりせず、とことん対象を調べてみると良い。それしか、解決策はないだろう。

反対に、「疑問」を持っていない人に、無理に話をしても、話が通じない。興味、関心事、注意の焦点(フォーカス)が当たっている物事が違うのだ。相手は、エ次元以外のオ次元、ア次元、または「欲求」「競争原理」優先のウ次元を優先して生きている。それを理解して接すれば、何も問題ない。