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2011年1月27日木曜日

本物の芸:いっこく堂

先日、たけしのYou Tube動画を検索していて、日本にも、まだしっかりした芸人さんがいるを初めて知りました。腹話術師のいっこく堂です。私は何しろほとんどテレビを見ていないもので・・・。

「ハーフタイムショー」という番組の動画です。何組か登場しますが、一番最初に登場する「いっこく堂」の腹話術は、凄いですね。歌う腹話術、って、珍しいですよね。

 

子供番組に出演した時の映像です。こういった芸は、大人も、子供も、万人が楽しめるわけですから、そこが強みです。


いっこく堂が、中国のテレビ番組に出演した、という映像です。




You Tube以外に、Pandora TVという韓国系の動画アップサイトがあるんですね。You Tubeと比較すると、アップできる時間に制限がない、という特徴があるみたいです。この動画は、1月21日(金)のTBS系「中居正広の金曜日のスマたちへ」に、いっこく堂が出演した際の動画です。



1月28日(金)19:54~ テレビ東京系「この日本人がすごいらしい」という番組に、いっこく堂が出演するらしいですね。私も録画して、観るつもりです。日本には、本物の芸人さんが活躍できる土壌がないので、今後も独自の路線で頑張ってほしいですね。

2011年1月26日水曜日

食料に関する洗脳を考える その4

果物を食べてみると、果物は種のまわりに甘さ成分を集める習性があるように思う。果物としては、種のために集めている栄養分であるが、人間には甘さとして感じるのだろう。現代人は、甘さというと、人工物である「砂糖」を基準に考えてしまうが、甘さとは植物の種のまわりに集める習性にしか、自然界には存在していないように思う。

砂糖は、サトウキビの甘さ成分を抽出して乾燥させたものにすぎないだろう。東南アジアでは、サトウキビではなく、豊富にあるココナッツの果実から、甘さを得るのが基本だ。バナナの甘さを利用する手もある。バナナは熱すると、甘さが増して美味しい。甘さを求める対象は、「砂糖」である必要はないのだ。先日、バナナの甘さを利用したアップル・スクランブルを食べたが、非常に美味しかった。東南アジアに住む西洋人のアイディアだと思うが、素晴らしいアイディアだと思った。

赤道近辺の地域は、一年中暖かいから、植物がよく育つ。ということは、食料は豊富にある。おもしろいことは、赤道付近の食料がよく育つ国々の通貨レートは、世界的に低い。その結果、豊富にある食料を、寒い地域の先進国が安く買い取る。それが、世界の構図、となっている。

同時に、赤道近辺の食料が豊富にある温暖な国々は、衛生面で問題があったり、危険な地域であったり、貧乏であったり、そういったイメージで洗脳されつくされている。それに加えて、最近はテロという言葉も加わった。仮に衛生面に問題があったとしても、豊富な太陽光線の下、それ以上に植物が元気なので、そういった植物を栄養にしている人は、免疫力は高く、もっと元気な気がする。貧乏であるのは、通貨レートが低く設定されているからだ。

多くの人が、自分で考えず、メディアから与える自動連想パターンを植え付けられてしまうので、その地域と強烈なイメージをくっつけて報道すると、そのイメージしか持たなくなる。だから、多くの人がそういう国に近づかないし、外国と言えば欧米に向かってしまう。まあ、私もそうだったから、他人の事をとやかく言えるわけではありませんが・・・。

2011年1月25日火曜日

食料に関する洗脳を考える その3

私の日本の田舎では、出荷されない人参、さつまいも、などが、収穫後の畑にゴロゴロ転がっている。JAが、規格外と呼ばれる大きさが異なる作物、傷が付いた作物、を買い取らないらしい。義務教育は規格外の人間を落第させるが、JAは規格外の作物を落第させて捨てる。だから、田舎の畑に行けば、落第した、規格外(傷が付いている、小さ過ぎる、大き過ぎる、ルックスが悪い等)であることをを気にしなければ、充分に食べられる食料は余っている。

食料の価格が高くなるのは、コトタマでいうイ次元である、命(イの血、イの地)のある作物を、ウ次元である競争原理の世界(経済)に無理矢理参加させるからである。本来公平である生命に対し、形、均一さ、甘さ、などで点数を付けて順位を付け、規格外は落第させ、価格を吊り上げ、食料不足を演出している。優等生だけが流通ルートに乗せられ取引される。まるで、義務教育のやり方と一緒だ。均一化させて、レールに乗せ、規格外は邪魔者として除け者にされる。

日本のメロン、トマト、スイカの甘さ、は異常である。甘さで順位を付けて、競争させて、異常に甘い作物は尋常ではない高額で取引させる。海外に滞在すると、メロンやスイカは安価な果物だが、日本のように甘さを求めてはいない。元来、水分補給の役割で食されるメロンやスイカに、甘さを求めるほうがおかしいのだ。

ただ、この責任は消費者側にもある。自然と離されて生活していると、泥が付いた野菜を嫌がったり、ルックスの悪い野菜を嫌がる。甘くないスイカを嫌がる。均一化された商品が並ぶスーパーでしか買い物をしない。均一化した思想を持った人間は、均一化した対象物としか同調しない気もする。

一昔前、日本ではバナナが高級品として扱われていた。東南アジアでは、バナナは価格競争にならないほど豊富にあるので、一房10円~20円程度からある。1本ではない、一房の値段だ。しかも、バナナの種類はすごい豊富だ。地元の人は、美味しくないバナナには見向きもしない。彼らは、私には分からない品種を見分ける目を持っている。日本には、ほんの限られた品種のバナナしか輸入されていない。しかも、あまり甘くない、美味しくない品種しか、輸入されていない気がする。

2011年1月24日月曜日

食料に関する洗脳を考える その2

一年中温暖な赤道付近の熱帯地域と比較すると、日本のような四季がある、いわゆる温帯地域では、寒い冬は植物が育たないので、保存食が必要である。日本の代表的な保存食は、漬け物、だろう。私は、野菜を軽く塩にまぶした浅漬けは、日本のサラダだと思う。添加物バリバリのドレッシングやマヨネーズではなくて、浅漬けで充分なのだ。

自然が素晴らしいのは、手間をかけなくても、豆類、米類は、天然の保存食だ。水に付けておくと柔らかくなり、豆類、米類は、発芽の準備を始める。そうして、人が食べられる状態に変化する。日本がなぜ古来から、米、豆を食してきたか、よく分かる気がする。

調味料ともなる醤油、味噌、は、豆類である大豆を原料とした保存食だ。私は、最近になって、本物の味噌は、ダシをとらなくても、味噌にお湯を入れただけでも美味しい味噌汁になる、ことを知った。スーパーで売られている大量生産品ではなくて、地方だけで売られている美味しい味噌を探すのだ。醤油も同様だ。

私は、ダシをとらなくてはいけない、というのは洗脳だと思っている。日本食にはダシをとらなくてはいけない、それは面倒、だから、簡単な市販調味料はいかがですか、という食品メーカーの陰謀だったように思う。その流れが、みりん、お酢、酒、味の素、そして、だしの素、その他各調味料にどんどん広がっていったのが現代食事情ではないだろうか。

ついでに、塩も海水を乾燥させただけの自然塩は、甘みがあって美味しい。料理は、原材料にこだわって、美味しい塩、醤油、味噌があれば、他の調味料はなくても、かなり美味しく出来上がる。料理は複雑な味付けが良いのではなくて、原材料の素材にこだわった単純な味付けが美味しいと思う。複雑なソースをつくるフランス料理よりも、素材を活かすイタリア料理やスペイン料理のほうが、自然に近いし、日本人の感覚に合っているように思う。

2011年1月23日日曜日

食料に関する洗脳を考える その1

ここタイに滞在していて、よく見かける光景は、タイ人は、注文した食べ物が気に入らないと、平気で残す。タイ人は、気分次第のア次元優先人種だから、食べたくないものは無理して食べない。本当によく残す。お皿の半分以上、残しているのもよく見かける。これは、温暖な気候なところは、食べ物が余っているから出来ることであって、日本人の感覚との違いを感じる。

日本では、「米粒を一粒残さずに食べる」ことが美徳とされる。そして、「お百姓さんに申し訳ない」という理屈も付いてくる。これだけで、一粒も残せないから「食料は不足している」と、食料はお百姓さんがつくるものであって「食料は自然界そのままに存在しない」、という二つの洗脳が自動的に働くように思う。

食べ物は、腐って、自然に還る。「もったいない」という発想は、それがお金に絡むと、正しいかな、とも思う。幾らかのお金で買った食物を、腐らせてムダにしてしまったら、最初に持っていたお金の価値はゼロになる。その感覚を「もったいない」と感じる。

でも、自然に育ったバナナが腐っても、またすぐにたくさん実がなることを経験上知っていたら、「もったいない」という感覚は生じない。腐っても、次のバナナがすぐにあるのだ。育てなくても、豊富にあるのだ。それが東南アジア諸国をはじめとした、赤道付近の国々だ。食料危機が嘘だということは、赤道近辺の地域に滞在してみると、すぐに分かる。私はまだほとんど行った事はないが、おそらくアフリカも同様だと思っている。

そう考えていくと、地域通貨である「腐るお金」という概念が、自然界とマッチするのもよく分かる。「腐るお金」というのは、使わなければ価値が減るお金だ。個人的には、地域通貨の問題点は、すべての生活必需品を、地域通貨だけで売買できない場合、どうしても現行のお金との関わりが生じてしまうところにある、と思っている。

特に、地域通貨で売買する距離が遠い場合、郵送料がその取引の大部分を占めてしまう。だから、本質的には、郵送料が必要ではない狭い地域内で、すべてとは言わないまでも、ほとんどの生活必需品を地域通貨の取引で賄えるようになれば、新しいタイプの自治体、本当の意味での独立国になり得る可能性は秘めている、と思う。

2011年1月16日日曜日

オ次元優先の日本人

タイに滞在していると、日本人がコトタマでいうオ次元に支配されている人種であることがよく分かる。オ次元というのは、「知識」「理論」「法則」「常識」「法律」の次元で、日本人は、このオ次元を動機として行動している人が多いように思う。

一方、タイ人を観察していると、ア次元を優先している人が多いように見える。ア次元というのは、個人的な「快楽」「快感」「幸せ」の次元で、タイ人はとにかく理屈(オ次元)を優先しない。タイ人は気分が乗らなければ仕事などしない(日本人は時間になったら仕事に行く)、食べたい時に食べる(日本人は時間になったら食べる)、というような違いだ。「時間」によって動くのも、オ次元に支配されている動きだ。簡単に言うと、「気分」によって動くのが、ア次元の動きだ。

例えば、市場で、売り場で昼寝しているおじさん、おばさんを、よく見かける。昼寝をしているのは、売り手側のおじさん、おばさんだ。こちらが何か買おうと思っても、売り手側のおじさんが寝ていて、お金を払えない。見かねた隣のお店のおばさんが来て、お金を受け取ってくれる、というシーンがよくある。仕事中でも、眠ければ寝る。「気分」のア次元優先だ。

「気分」によって動く、などと言うと、多くの日本人は、それじゃ仕事にならない、という反応が出てくるだろう。もうその時点で、仕事とは○○であるべきだ、という「理屈」「常識」(オ次元)に支配されている。

また、タイ人は、雨が降ってきたら、外に出掛けるのを遅らす。時間を守らなければいけない、という「時間」「規則」の考え(オ次元)など弱いものだ。自然に忠実、と言ったらそれまでだが、雨の中出掛けたくない「気分」(ア次元)を優先させている。

それが良い悪いはともかくとして、ここが、多くの日本人がタイ人を理解できない原因だろう。一般的に、日本人はオ次元を動機に行動する事を(人間として)当然、と思い込んでいる人が多い、ように思える。他の次元を理解し、どの次元を優先させているか、を理解していると、腹が立つ事はない。