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2011年1月17日月曜日

競争原理(ウ次元)による天下統一と雑草魂

昨日、1月16日のKazumoto Iguchi's blogのついに日本人も立ち上がったか!?:「上杉機関」の健闘を祈る!の記事の中で、次の一文がありました。

「ユダヤの思想には、善と悪をゲームとして再現し、その内部倒立と統率、対立をさせて殺し合わせ、「競争」によって豚人種を管理するという言葉がある。」

ちなみに、そのまた引用元は、ブログ上杉機関 本館というブログです。

故島田正路氏のコトタマ学では、スメラミコト(天皇)は、競争原理(カバラ:ウ次元)によって天下統一を果たすよう、モーゼ(ユダヤ)に通達された。競争原理による天下統一は、精神のみ充足した第一文明から、科学が発達した第二文明を経て、精神・科学両面において充足・発達した第三文明が発足する、ための方便であって、現在は科学文明がまだ完成していない第二文明の過程にある、という解釈をされていました。

スメラミコトのイ次元から見ると、ウ次元だけでの天下統一は無理な事です。それは、図形でいうと、ウ次元は三角形、オ次元は四角形、イ次元は円で表されます。イ次元の円が宇宙のすべてを表すので、ウ次元の三角形は円に内接する三角形、オ次元の四角形は円に内接する四角形になります。

これは具体的にどういうことかというと、例えば作物を畑で育てる、には決まりを作って整然と並べていきます。これがオ次元(四角形)の動きです。でも、雑草は生えてきます。畑の管理者から見ると、これは邪魔で邪魔で仕方ありません。この雑草が、円に内接する四角形の外側の部分で、かつ、円の内側の部分です。これは、「決まり」「規則」(オ次元)の四角形で囲っても、囲いきれない部分(イ次元)が必ずあり、囲いきれない部分から雑草という命(イの地、イの血)が生えてきます。どこからでも、雑草は生えてくるのです。

ユダがゴイの人口削減を企むのは、この雑草を取りたくて仕方ない、そんな動機から生じているように感じています。蚊を殺しても殺しても出てくる、蟻をつぶしてもつぶしても又出てくる、そんな心境だと思います。でも、雑草魂は不滅なのです。抜いても抜いても生えてきます。

ウ次元も同様です。ウ次元の競争原理で、ピラミッド型の組織や、階級の仕組みに人類を組み込もうとしても、はみ出る人間(フリーター)が出てきます。ウ次元の三角形では囲いきれない部分(イ次元)の命(イの地、イの血)が、必ずあるのです。そう、雑草魂は不滅なのですよ。

2011年1月16日日曜日

解決の鍵は「疑問」(エ次元)

そう、一生、「疑問」に思わなければ、それはそれで幸せな人生かもしれない。だから、逆を言えば、鍵は「疑問」だ。「疑問」を感じたら、その「疑問」をとことん追い詰めることだ。

まず「疑問」を感じたら、「知識」「理屈」「常識」「周囲の評価」(オ次元)をとりあえず静かにさせて、「疑問」を感じた対象に注意の焦点(フォーカス)を伸ばし、じっくりと吟味して、いろいろと調べてみることだ。その行動は、エ次元の動きだ。

問題は、対象の「疑問」解きの興味エネルギー(エ次元)が、「知識」「理屈」「常識」「周囲の評価」(オ次元)の拘束エネルギーを上回る事だ。オ次元の拘束エネルギーが上回ると、元の状態に戻ってしまう。

一般的に、「知識」「理屈」「常識」「時間」(オ次元)で、知覚(エ次元)を否定する。これが、大多数の日本人の意識構造だろう。これが逆転して、エ次元の「疑問」の謎解きエネルギーが、オ次元の拘束エネルギーを上回ると、対象に対する新しい理解が得られるだろう。

その時得られた「対象の理解」は、オ次元で持っていた「知識」ではない。オ次元の「知識」は、対象にまで注意が行き届いていない「間違った理解」だ。思い込みだ。対象にまで注意が行き届いた上での「対象の理解」は、「正しい理解」(エ次元)だ。コトタマでは、「実相」は万人にとって、一つ、だ。それはエ次元の意識になって、初めて共有できる。

「対象」を知れば、自ずと行動は変わる。私は、ある食品の原材料を知った途端、ずっと止められなかった甘いお菓子もすぐに止められた。「対象」を知れば、食べる気にはならなかった、ので、まったく無理はなかった。

その前段階として、まず、「疑問」を感じなければ、可能性がない。だから、抱いた「疑問」を「理屈」で封じ込めたりせず、とことん対象を調べてみると良い。それしか、解決策はないだろう。

反対に、「疑問」を持っていない人に、無理に話をしても、話が通じない。興味、関心事、注意の焦点(フォーカス)が当たっている物事が違うのだ。相手は、エ次元以外のオ次元、ア次元、または「欲求」「競争原理」優先のウ次元を優先して生きている。それを理解して接すれば、何も問題ない。

義務教育は、オ次元優先の訓練コース

もともと義務教育というのは、AといったらB、CといったらD、というように、大多数が同じような反応を示すように、しかも当人はそれが自分の考えであるかのように信じ込ませる、訓練をする過程である。そして、よく訓練された生徒がテストで良い点数を取り、良い成績を取り、親や先生などまわりの人から褒められる。

例えば、明治維新に対する解釈も、坂本龍馬に対する解釈も、教科書を作成した側の解釈を答案に書くと、良い成績が取れる。仮に、坂本龍馬はグラバーにそそのかされた、なんて答案に書いたら、先生はどう反応するんだろうか?

<参考>THINKERサイトの日本人が知らないニッポン

この自動的な連想パターンがオ次元の構築であり、構築されたオ次元の完成度が高い生徒を優等生扱いするわけだから、日本人がオ次元優先になったのも当然と言える。ア次元優先の生徒など、出来の悪い生徒として、親にも泣かれ、叱られ続けてきたことだろう。

では、なぜ訓練するのか? そのほうが、支配者にとって、好都合だからである。訓練された生徒にとって好都合なわけではない。チャイムが鳴って、無条件反射で生徒は席に座る。私はこの光景を思い出す度に、羊とカウベルの関係を連想してしまう。

成績の良い、よく訓練された(オ次元優先)の生徒が、大学まで進学する。大学を卒業したら、そのまま会社に就職する。ずっと、「時間」に拘束されながら。自ら満員電車に乗って。会社にとって、よく訓練された自主的に動く労働者は重要だ。一生、「疑問」に思わなければ、それはそれで幸せな人生かもしれない。

オ次元優先の日本人

タイに滞在していると、日本人がコトタマでいうオ次元に支配されている人種であることがよく分かる。オ次元というのは、「知識」「理論」「法則」「常識」「法律」の次元で、日本人は、このオ次元を動機として行動している人が多いように思う。

一方、タイ人を観察していると、ア次元を優先している人が多いように見える。ア次元というのは、個人的な「快楽」「快感」「幸せ」の次元で、タイ人はとにかく理屈(オ次元)を優先しない。タイ人は気分が乗らなければ仕事などしない(日本人は時間になったら仕事に行く)、食べたい時に食べる(日本人は時間になったら食べる)、というような違いだ。「時間」によって動くのも、オ次元に支配されている動きだ。簡単に言うと、「気分」によって動くのが、ア次元の動きだ。

例えば、市場で、売り場で昼寝しているおじさん、おばさんを、よく見かける。昼寝をしているのは、売り手側のおじさん、おばさんだ。こちらが何か買おうと思っても、売り手側のおじさんが寝ていて、お金を払えない。見かねた隣のお店のおばさんが来て、お金を受け取ってくれる、というシーンがよくある。仕事中でも、眠ければ寝る。「気分」のア次元優先だ。

「気分」によって動く、などと言うと、多くの日本人は、それじゃ仕事にならない、という反応が出てくるだろう。もうその時点で、仕事とは○○であるべきだ、という「理屈」「常識」(オ次元)に支配されている。

また、タイ人は、雨が降ってきたら、外に出掛けるのを遅らす。時間を守らなければいけない、という「時間」「規則」の考え(オ次元)など弱いものだ。自然に忠実、と言ったらそれまでだが、雨の中出掛けたくない「気分」(ア次元)を優先させている。

それが良い悪いはともかくとして、ここが、多くの日本人がタイ人を理解できない原因だろう。一般的に、日本人はオ次元を動機に行動する事を(人間として)当然、と思い込んでいる人が多い、ように思える。他の次元を理解し、どの次元を優先させているか、を理解していると、腹が立つ事はない。